早すぎるラッパーの死 "Juice WRLD"とはどういう男だったのか。
2019.12.09

今年春、セカンド・アルバム「Death Race For Love」が全米1位に輝いたヒップホップ界の新星の1人、Juice WRLDが、12月8日、21歳の若さで亡くなった。世界中のファンに衝撃を与えたJuice WRLDの突然の訃報。その後、所属レーベルであるInterscopeから彼の死に関する声明が発表された。昨年命を落としたXXXTentacionに続き、実力派若手ラッパーの突然の死は世界中のファンに衝撃を与えた。今回はそんな彼の生き様を振り返りたい。
ラッパー"Juice WRLD" とは
Juice WRLDの生まれはイリノイ州シカゴ、3歳の時に両親が離婚し、兄と共に母の手一つで育てられる事になる。厳格な母は彼にヒップホップを聞くことを許さず、幼少期はスケボーゲームから流れるファンクやポップミュージックを聴いて育った。またJuice WRLDは相当なドラッグユーザーであり、6年生の頃にはリーンを飲み始め、ザナックスなども服用していた。この時点で今日起きた死を連想させる生活である。彼が最初に音楽と触れ合ったのは4歳の時であり、ピアノを演奏していた。後にトランペットも経験し、高校2年生の頃にサウンドクラウドで曲を上げ始めたのをきっかけにラップへ熱中していく。これが約4年前のファーストシングルになる。
サウンドクラウドからの成り上がり
制作活動を続けサウンドクラウドで曲を上げる一方で、高校を卒業したJuice WRLDは工場で働き始める。しかし仕事に満足がいかず、たったの2週間で仕事を辞め、デビューアルバムである「9 9 9」をリリースする。その中に収録されているシングル"Lucid Dreams"はJuice WRLDの出した曲の中でも耳にする事は多いはずだ。
それからしばらくすると、Waka Flocka FlameやSouthside、同じシカゴ出身のラッパーG HerboやLil Bibby等から注目を受け、レーベルとの契約に至る。その後の制作活動ではLyrical Lemonadeの様な巨大なヒップホップメディアとフューチャリングを行いEP をリリースした。その影響で記事冒頭で紹介した"All Girls Are the Same"もJuice WRLDを代表する1曲となり、"Lucid Dreams"と併せBillboardチャート入りする事になる。その後は Lil Uzi Vertとのコラボやソロアルバムのリリース、Travis Scott、Ski Mask the Slump Godらともコラボを行い名実共に人気ラッパーの道を歩んでいく。
"Juice WRLD"の残した思い
言うまでもなく華やかな功績を残してきたJuice WRLDだが、今夏にMONTREALITYのインタビューにて以下の様なメッセージを若者たちに向けて残している。「残りの人生を生きていく上で好きなことを見つけるべきだ。そして物事が不可能に感じてもそれは可能な物だから決してナーバスになってはいけない。大きいゴールがあるならそれを達成するまでナーバスなど削り取るべきだ。自分も同じ道を辿ってきたし、今答えが無くて恥ずかしいかも知れない。だが人生とは自分自身を見つける為にあり、見つけた後は目を閉じ、眠るように息を引き取るんだよ。」若くして成功を納めた自分を比較対象にしながら、若者に勇気を与えているメッセージだ。ラッパーとして一定の地位を獲得したJuice WRLDはもしかすると"自分自身"というモノを見つけだし必然と眠りについたのかもしれない。