遅咲きのシンガー"Bill Withers"から見るクリエイティブの源流

2019.11.02

「Just the Two of Us」だけじゃない彼の代表曲


1970年代のフュージョンを支えたサックス奏者である”Grover Washington, Jr.”の代表曲でもあり、 Smif-N-WessunやWill Smith等の曲にもサンプリングにも使用されている。ブラックミュージック史に残る言わずと知れたメロウソングだが、今回紹介するBill Withersはこの曲にゲストボーカルとして参加していた。この曲の話だといつもGrover Washington, Jr.の方に名前が注目されがちだが、今回はそんな目立たないbillに焦点を当てよう。

障害を乗り越え、33歳でデビューしたBill Withers。

アメリカウェストバージニア州出身Bill withers。彼は高校卒業後に海軍に入隊し9年間海外で過ごし、33歳という少々遅い年齢でデビューした。彼がこれ程までに長く赴任していた理由として、彼が持っていた”吃音(どもり)”を克服するためだったのだ。Billは海軍での海外赴任を終えアメリカに戻るなり、飛行機の修理工等の職に就くようになる。そんな彼が30歳を目前にして音楽の道を志すきっかけとなったのは行きつけのバーでの出来事。彼はバーテンダーが質の悪いミュージシャンに高給を払ってしまっている現状を嘆いているのを耳にし、1967年に音楽活動に集中するため、ロサンゼルスに引っ越す事を決めた。1971年には”Booker T. Jones”がプロデュースを行ったSusex Records発の「Just As I Am」がまさかの大ヒット。同アルバムに収録されている「Ain't No Sunshine」は後に、ゴールドディスク、billには初めてのグラミー賞をもたらした。




後世に残るアートフォーム。2010年代に誕生した新たなBreak Beat。

彼のキャリアの中で最も商業的に最も成功した1972年発売の2ndアルバム「Still Bill」。「Use me」、「Lean On Me」などのヒット曲が収録されたこのアルバムは、当時のR&Bアルバムチャートで6週連続の一位を記録する。一躍売れっ子となり、スターへの階段を登る事になったBill Withers.。しかし、彼の生活感や価値観が劇的に変わる事はなかった。というより、そういった当時のエンターテイメントとして変化していく事を嫌ったのは彼自身であった。売れていくに連れ、彼にはブラック・エクスプロイテーション映画のサウンドトラック提供や、有名ミュージシャンのカバーなど身の丈に合わないと感じた誘いは全て断ってきた。それは、歌手として業界で生き残っていくためにナンバーワンを目指しヒットソングを出さなければならないという音楽業界の圧力やしがらみに倦怠していたからであった。彼に従来のアーティストに見られる野心は無く、自分の好きな音楽を表現する事を最後までこだわったのだ。


また、ヒップホップ業界におけるサンプリング使用に寛大なことで有名なbillでもあるが、2010年代に入ってから新しくドラムビートとしても使われている。Big K.R.I.TやKendrik lamarLogicなどのサンプリングを中心に、このUse meの乾いたハイハットとドラムの淵を叩いたリムショットの三連譜がBreak Beatとし新しく誕生した。

等身大であり続けたBill Withers。彼のクリエイティブとは。

同世代のシンガーでは、Marvin GayeやCartis Mayfieldなどと同時期に活躍したBill Withersだが、彼が楽器を初めて弾いたのは音楽を始めた30歳ごろの話だという。着飾らずも本質的な彼のメッセージは、今もなおありとあらゆる人の心を惹きつけ、近年でも"Jose James"や"Robert grasper"等のシンガーにカバーされている。

また、Bill自身、幼い頃に父親を亡くし、吃音の障害に悩まされていた。恵まれずに育った彼だが、コンプレックスや出で立ちに関係なく成功出来る事を実証した。そして、そんな彼の作曲におけるインスピレーションの核は何の変哲も無いような生活から感じ取るささやかな経験則であった。年齢や出で立ち、そして自信が無くても、成功するきっかけが私達の周りにも転がっているかもしれない。

アイキャッチ本人FBアカウントより引用

Writer / EZ

soul ミュージックが好きなEZです。 好きなアーティストはLUNCH TIME SPEAXとさだまさしです。