Swing Jazz

2019.04.13

大恐慌の時代から生まれだした希望

1930年に突然アメリカを襲った大恐慌は、アメリカ経済を壊滅状態にした。アメリカ合衆国の1933年の国民所得は、いっきに1929年時点の半分に落ち込み、失業者の数も1300万人を超え、全労働力人口の4分の1に達していた。

それでも、F・D・ルーズベルト大統領が進めたニューディール政策などが効果をあげたこともあり、再びアメリカ経済は上昇の兆しを見せ始めていた。この年1935年は、アメリカ経済がどん底を脱し、再び世界経済の牽引役として歩み始めた年でもあった。

アメリカ中が大不況に襲われ、多くの人が職を失っていたこの時代に、それでも音楽は街で流れ続けていた。時代が暗いからこそ、人々は楽しいダンス・ミュージックを求めていたのだ。

その隆盛の期間こそ短かったが、アメリカを象徴するポップミュージックとしてこの時代に人々を癒した音楽こそがSwing(スウィング)であった。


スウィングの立役者達

優れたアレンジャーの一人フレッチャー・ヘンダーソンをアレンジャーに起用し、スウィング・ジャズ黄金時代をスタートさせたのが、ベニー・グッドマンだ。1935年8月21日に彼がロサンゼルスのハリウッドで行ったコンサートは、それまでまったく受けなかったスウィング・ジャズが初めて熱狂的に受け入れられた記念すべきライブだったと言われている。

そしてこの後のコンサートは、ラジオで全米に生放送され、一躍彼のバンドは若者たちのアイドル的存在となった。

5,6人編成のバンドでスウィングできたことを、15人以上のメンバーでも可能にしたのは優れたアレンジャーによる編曲であった。そのおかげで、楽譜どうりに演奏することでスウィングできるようになったのだ。

和声など音楽理論を深く理解し、楽器の編成や特徴を把握していて、なおかつ「スウィング」を理解しているアレンジャーがこの時代に大きく貢献した。

1937年に行われたニューヨーク、パラマウント劇場でのコンサートには2万9千人の観客が押し寄せ、熱狂する若者たちが通路などで踊り出し、警官隊が動員されることに。その盛り上がりは、後のエルヴィス・ブームやビートルズ・ブームに匹敵するものとなった。この時、彼らはこの世代の若者たちのヒーローであった。

1930年代の大恐慌では、1930~32年は確かに国全体が悲惨な状況に陥っていたが、1933年以降は、逆にレコード売り上げはプラスに転じていた。スウィング・ジャズが生み出すダンス音楽は、そんな上向きの大衆心理を象徴する時代の音楽だった。

ただし、この時代が多くの国民が経済的に苦しかったこともあり、レコードの売り上げよりもラジオ番組でのライブ演奏がそれぞれのバンドにとって大切な収入源となっていた。

この時代に各地域でデューク・エリントン楽団やグレン・ミラー楽団といった時代を象徴するビッグバンドがツアーを行い、スィング・ジャズの黄金期と呼ばれる時代を作りだした。

しかし、大編成を必要とする演奏スタイルはその時代背景上、永くは続かなかった。

スウィングの終わり

1930年代に黄金時代を迎えていたスウィング・ジャズだが、その終わりは意外に早く訪れた。1940年代に入り第二次世界大戦が本格化し始めると、スウィング時代に活躍したバンドが次々に解散して行きました。それにはいくつかの原因があった。

この頃アメリカは第二次世界大戦に本格参戦。太平洋とヨーロッパ、両地域に兵士を送り出すことになり、多くのジャズメンたちも戦場へと向かい編成に大きな影響を与えてしまった。

さらに戦争の影響によって、ガソリンやタイヤが不足。当然、バンドが移動するために必要な交通手段にも影響が出てくる。ツアーにかかる予算が急騰し、大人数での移動は困難になり、必然的に人数が少なくなってしまったのだ。

その上ナイトクラブやダンス・ホールには、戦時中、20%もの遊興税がかかることになる。客の数自体が減っていただけに、店側がバンドに支払う出演料が払えなくなるのも当然の事であった。

戦争という時代背景とは別に、多くの楽器が電気楽器へと進化。それによって音量が一気に増し、少ない人数のバンドでもかつてのオーケストラに匹敵する音量で演奏できるようになった。ダンスバンドとしてステージに上がる際、より少ない人数で十分になり、人件費も安くあがる。

バンドの変化と同時にジャズがダンス音楽からより複雑で芸術性の高い音楽へと変化していったのが1940年代から1950年代でした。

ダンス音楽としてのジャズから鑑賞する音楽へ。時代が求める姿へとJazzは移ろいでいく。

Writer / MY HOOD

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