Bebop
2019.04.13

ビバップとは何なのか
ビバップは、現在のモダン・ジャズの幕開けといえるジャズの演奏スタイルであり、
その誕生は、1930年代末から1940年代初頭にかけてすでに存在していた。
その頃はジャズの表の顔は「スウィング」であった。大人数でジャズの高度なテクニックを駆使して大衆に「わかりやすい音楽」としてポピュラー・ミュージック、ダンス・ミュージックとして確立されていた。
この時点で一部の黒人ミュージシャンたちのジャズは「わかりやすい」だけではないものを求めていた。
1938年にオープンした、ハーレムのレストランクラブ『ミントンズ・プレイハウス』には、金になるステージでの、コマーシャライズされた「わかりやすいジャズ」
の仕事を終えたミュージシャンたちがぞくぞく集まってくるようになった。
1940年頃には、様々な地から、刺激を求めたミュージシャンたちが集まってくるようになり、その場だけのメンバーで即興演奏をする「ジャム・セッション」というものが、夜な夜な催されるようになる。
コマーシャル音楽のジャズに飽き飽きしていた黒人ミュージシャンたちは、欲求不満を発散するかのごとく、聴衆の目を気にせず自分たちの思うがままにプレイし、テクニックの極限に挑戦し、複雑な音楽を創り出す実験のような演奏が行われていった。
このムーヴメントは次第に伝播していき、ジャム・セッションができる店が増え、ジャム・セッションが至る所で盛んに行われるようになっていく。
今では、単に「バップ(bop)」と呼ぶことも一般的になっている。
「表のジャズ」である「スウィング」が白人の手によって違った形のものになっていったのに対し、「裏のジャズ」である「ビバップ」は、こうして「もともとのジャズ」としての形を整えていく。
1940年、ニューヨークでは、「セロニアス・モンク」、「ケニー・クラーク」、「チャーリー・クリスチャン」、「ディジー・ガレスピー」、「バド・パウエル」といったミュージシャンが中心となっている。
そこに革新的な影響を与えたのは1942年、アルト・サックス奏者の「チャーリー・パーカー」がカンザスシティから進出し、時代は一気に動きだした。この時期の最大のジャズ・ミュージシャンといえる人物であろう。
Bebopの立役者達

チャーリー・パーカーは、現在「モダン・ジャズ」と呼ばれる本流のジャズの原型となる「ビバップ」のスタイルを、トランペット奏者のディジー・ガレスピーたちと共に確立したことで、「ビ・バップの創始者」、「モダン・ジャズの父」、あるいは「ジャズの革命児」などと呼ばれる存在となった。
テナー・サックス奏者のレスター・ヤングやギター奏者のチャーリー・クリスチャンといったソロ・プレイヤーと同様に、チャーリー・パーカーも当初はビッグバンドに所属していた。
しかし、ダンス音楽などのコマーシャライズされた音楽として演奏されることが多かったビッグバンドでの制約が多く、決まりきった乗り切らない演奏に飽き足らなくなっていた。
同じ思いのミュージシャンたちが、その仕事帰りにハーレムに集まり即興演奏のアドリブ・プレイに思いのたけをぶつけ合うジャム・セッションが行われるようになり、パーカーもその常連になっていた。
パーカーは、テンポとキーに関係なく、サックスであらゆるメロディーをプレイすることができた。
たとえば、細かくチェンジするコード進行を守りながら、次々に美しいメロディーを創造し続け、独自の天才的センスを発揮し、それまでのプレイヤーがやらなかったような音使いを用いて、パーカーは中心になってジャズの新しいスタイルを開拓してきた。
同じく、ハーレムのジャム・セッションの常連だった素晴らしいプレイヤーに、ギター奏者のチャーリー・クリスチャンがいた。
クリスチャンは、エレキ・ギターを完全なジャズのソロ楽器としての地位を築いた人物でしたが、1942年に25歳という若さでこの世を去ってしまいました。
入れ替わるようにしてカンザスシティからニューヨークにやってきたのがチャーリー・パーカーだった。
そしてパーカーは、ディジー・ガレスピーなどと共に、ハーレムのジャム・セッションの常連になった。
それまでのスウィング・スタイルと比べて、コード進行にもとづく即興演奏(インプロヴィゼーション)を行うということでは変わりないが、コード進行やメロディーは複雑になり、個人のソロ・プレイのアドリブが主体になっていた。そして、明瞭でないメロディー、不協和音といったものが多様されるように。
リズムの面でも、シンバル・レガートという、その後のモダン・ジャズでは当たり前のジャズ独特のリズムによるビートが絶え間なく送り出されるようになり、すばやいアドリブ・フレーズに対応するリズムの流れが出来上がる。
テンポの幅も極端に広がった。テンポはより速くリズムもより複雑になり、よりアフタービート、オフビート感の「ジャズ独特のノリ」が確立したのだ。美しいメロディーと心地よいスウィング感の、それまでのスウィング・ジャズとは一線を画したビバップは、
ジャズ界にまさに革命的な変化をもたらした。
アフリカ黒人をルーツにしたジャズが、その本質的な感情表現を取り戻した反面、気持ちよくダンスを出来るような単調なグルーではない上に、大衆が容易に聴きやすいものではなくなり、かつてない不愉快な感情表現も多く見られるようになっていく。
しかし、黒人ジャズ・ミュージシャンたちは、それまでのあまい歌やダンス音楽やこっけいな寸劇など、聴衆にこびることをやめる事で、芸術意識にめざめ、自身たちの音楽をひたすら追求できるフィールドとしてビバップを愛し、ジャズは音楽的に進化していった。
そして1946年頃からスウィング・バンドの解散が相次ぎ、「スウィング」が衰退してくると「ビバップ」は勢いを増し、1953年頃までのジャズの代表的なスタイルとして時代を形成していくこととなる。

Writer / MY HOOD
MusicTripMedia