Motown Soul

2019.04.13

モータウン・ソウルが生まれるまで

モータウン創設者のBerry Gordy, Jr.(ベリー・ゴーディー・ジュニア)が音楽業界に足を踏み入れるきっかけとなったのは、自ら経営していたジャズ系のレコード店“3-D Record Mart”だった。

しかし、店はうまく軌道に乗らず、2年後の1955年には店を閉める事となり、生活のためにフォードの自動車工場で働く道を歩む。

音楽を諦めきれなかったゴーディーは、空き時間を利用しては曲を作り、あらゆるコンテスト、音楽出版社、歌手へと自身の作品を送り続けた。 最初に彼に転機が訪れたのは、Jackie Wilson(ジャッキー・ウィルソン)が1957年にヒットを飛ばした“Reet Petite”だった。

その後も数作ヒットを飛ばし続け、今度は自作をプロデュースする所まで至る。第一弾としてMark XからFive Stars(ファイブ・スターズ)の“Ooh Shucks”をリリース、続いて自ら発掘したWilliam "Smokey" Robinson(スモーキー・ロビンソン)率いMiracles(ミラクルズ)の“Got A Job”、Eddie Holland(エディ・ホーランド)、Brian Holland(ブライアン・ホーランド)等のリリースを手掛け、後にモータウンで素晴らしい活躍をすることになるこの3人の音楽家との出合いは彼の人生に大きな 影響を与えた。

ゴーディーは作品へのコントロールを完全掌握するため、1959年に自らのレーベルTamla(タムラ)を設立した。レーベル名をDebbie Reynoldsの映画のタイトル“Tammy”にしたかったみたいだが、既に商標は取られており、Tamlaに落ち着いたとの事。

最初のリリースはMarv Johnson(マーヴ・ジョンソン)の“Come To Me”、そして同年にリリースした“You Got What It Takes”がポップチャートのトップ10入りを果たした。

この流れから生み出されたレコードたちは「モータウン・ソウル」と呼ばれ、一つのソウル・ミュージックサウンドの源流とされている。


モータウンが成し遂げた偉業

ポピュラー音楽の歴史において、「モータウン・レーベル」ほど、数多くの革新を成し遂げた企業はないと言えるだろう。ポピュラー音楽の進化を、あらゆる面で押し進めた「突然変異的」企業、それがモータウンなのだ。

小さなファミリー企業から、わずか十年でメジャーのレコード会社と肩を並べるまでの企業に成長した、インディー・レーベル成功物語の先駆けとなったモータウン。 革新的な方法は、それまで、黒人層を対象として制作、販売が行われてきたR&Bを、白人までをもその購買層として視野に入れ、ポップ・チャートに次々と黒人音楽を送り込んだ。

黒人が経営する企業として、アメリカで最大の成功を成し遂げただけでなく、白人経営陣の採用などによりいち早く社内における人種の壁を破壊し、発祥の地である中東部の街デトロイトを離れず、ニューヨーク、ロス・アンジェルス以外の街からでも、レコード会社として成功できることを証明した。

何よりも起業戦略として、アーティストを徹底的に教育し、モータウンのイメージ、スタイルを築き上げるというその後の音楽産業におけるプロモーション活動の基本を示した先駆者モータウン。 彼の音楽への愛と決して諦めない心は後の音楽産業の発展に大きく繋がったと言えるだろう。


Writer / MY HOOD

MusicTripMedia