『Good Kid M.a.a.D City』の歌詞から学ぶケンドリックラマーの哲学と人生④

2018.11.22

引き続きアルバム『Good Kid M.a.a.D City』からケンドリック・ラマーの背景に迫って行く「Swimming Pools」の曲が終わった後のスキット部分で親友のデイヴを亡くしてしまったケンドリック・ラマー。彼にとってこの出来事は残り人生をどう行きて行くのか、自分が何を成すべきなのかを考える重要なターニングポイントとなった。この曲以降、ケンドリック・ラマーがアルバムに込めるメッセージ性はより強まっていく。

メッセージ性の強いバースの意味

And it’s my turn to settle down

My main concern

Promise that you will sing about me

Promise that you will sing about me

こんなリリックから始まる「Sing About Me」。「俺が死ぬ時は俺のことを歌ってくれると約束してくれ」という言葉はデイヴが亡くなったスキットの直後。ケンドリック・ラマーに残した親友の言葉と考えて間違いないだろう。ケンドリック・ラマーは実際にこの言葉を実現し、世界中で聴かれるアルバムにしてしまった。

「Real」はケンドリック・ラマーと彼に関わる2人の人物のそれぞれ考えが1バースごとに表現されている。1バース目は亡くなった親友デイヴの兄のメッセージから。まずケンドリック・ラマーに対しては全く恨み節を述べたりせず、デイヴの最後の瞬間を抱きしめて悲しんでいてくれたことに対して感謝の気持ちを表している。

このバースの象徴的なライン、

I wonder if I’ll ever discover a passion like you and recover

「お前(K dot)みたいにここから抜け出すために何か情熱を捧げられるものを見つけられたらな。」

このデイヴの兄もコンプトンで起きている異常な日常に対する疑問を抱いていますが、弟の復讐の気持ちを封じられずにギャングとして生きていくことに腹を括っている。実際にはケンドリック・ラマーのような「Good Kid」たる精神を持つ者はコンプトンにもたくさんいるのだ。ただその環境が彼らを負の循環から抜け出させない。そんな彼らの世界の日常をデイヴの兄の主観的な目線から表現している。

2バース目はケンドリック・ラマー が以前のアルバムでリリックに取り上げた売春婦の姉妹からの目線で描かれている。「Section.80」という作品の中でケンドリック・ラマーはある売春婦の半生を悲劇的なリリックで描いていた。

このバースはそれに対する反論といった所。自分たちは全然悲惨なんかじゃないし、この世界から消えたりもしない。と発言は強気。デイヴとは反対に自分たちのこと曲にするな、曲で取り上げることによって私たちを救ったような気になるなよ。と、ケンドリックに対してかなり否定的な目線で描かれている。結局この意見をケンドリック・ラマーは曲にしてしまっているのですが、そこもまた彼の思いの強さ。コンプトンのような環境で暮らす女性の問題とその心情をやり方の是非こそあれど、世に知らしめて発現しているのだろう。

3バース目はケンドリック・ラマー 自身の意見。死への恐怖、デイヴの兄に込めたメッセージ、姉妹への謝罪と次々と自身が感じている心の内を正直に明かしている。それぞれへの思いが昇華して曲を作る思いがより強くなったことを述べた上で、自らの方向性として強い思いを示している。自分の周りで死んでいった人たちに捧げる曲を作り、弱い人々が自分たちの権利を主張できるようにと、ケンドリック・ラマーが自分が世界に何を語るのかについての明確な意思表示となっている。今回のスキット部分ではデイヴを亡くした仲間達が復讐に奮起しているシーンが入る。

しかし、最後K dotは叫ぶ。

Fuck! I’m tired of this shit! I’m tired of fuckin’ runnin’, I’m tired of this shit! My brother, homie!

もう逃げ回るのも追いかけるのもうんざりだ!怒りを込めつつも復讐とは別の感情をケンドリック・ラマーは現にする。

今までの行動を振り返る思考と現実

「Sing About Me」に続きケンドリック・ラマーのこれまでの事件に対する見解を示している1曲。スキットに引き続き、繰り返すように逃げるのはうんざりだ、倒れるのもうんざりだ、と自分たちのフッドにおける死の螺旋から抜け出したいという意思表示を明確にしている。自分たちがこれまでに犯した罪の意識についても言及されていて、これまでにしてきた行動の全てが死に繋がっているのではないか?と考えを巡らせている。

デイヴの死はケンドリック・ラマーにとってより死への意識を身近にさせ、死に対して向き合うからこそ自分のやるべきことがわかっていく過程が感じ取れる。ここでのスキットでもまだK dot達は怒りの感情をあらわにし続けていますが、通りがかりのキリシタンの女性がなぜそんなに怒っているのかと彼らに問いかける。ケンドリック・ラマー自身、現在では曲に聖書の教義をよく引用しており、新しい人生の歩み方を示す一節を担っている。

Kendrick Lamar5

有名アーティストの葛藤と答え。それは金や権力ではなく”愛”だった。

これまでの内容でずっと自分の葛藤する部分や、コンプトンの異常な日常から抜け出せないことの絶望感に悩んでいたケンドリック・ラマー。しかしこの曲では一つ答えを導きだせているように感じられる。

I do what I wanna do

I say what I wanna say

よく歌詞で聴くような一節でありながらもここまでのストーリーを追ってきた上でのこの言葉は非常に明るく、吹っ切れた物言い。何よりもこの曲ではしきりに「Love」というワードが使われていることが目立つ。リアルが何か?何がリアルか?金や権力じゃないんだというメッセージに加えて、まず自分自身を愛することが何より大事なんだと歌うケンドリック・ラマー。それは単純な自己肯定ではなく、自分の本当の欲求に対して向き合って、周囲の環境に流せれるのではなくもっと内に問いかけてみろ、という思いが込められている。

アルバムを通じて、コンプトンの現実を世に見てもらう、聞いてもらうという所から更に踏み込んで、そこで苦しむ若者に対して新しい道を探すことをしきりに説き続けている。この曲の終わりでは父と母からのメッセージが入る。能天気そうだった父親からは真剣にケンドリック・ラマーを心配する言葉と、家族を大切にする気持ちをもらい、母親は音楽活動に対して背中を押し、それが彼に与えられた使命なのだと真剣に考えてくれている様子が伺える。ここにも家族としての愛がはっきりと示されていて、アルバムは最後の曲「Compton」に向け、一気にカタルシスを感じさせてくれるのだ。アルバム序盤から漂っていた暗い雰囲気が最後の最後に一気に晴れ上がっていく。次回はアルバム最後の曲「Compton」から、このアルバム全体の総括をしていきます。

Writer / Taneda

平成初頭生まれ会社員。 趣味のブレイクダンスをきっかけにブラックミュージックに没頭。 なんやかんやあってjazzに現在傾倒中。