The Black Operaから紐解く現在社会Ⅰ

2019.03.27

たまにふと考える。HIPHOPというカルチャーが生まれた奇跡的現象について。それはまるで、ビッグバンから全てが作り上げられていったのと同じ様に、偶然に近い必然の連鎖で形成されていった壮大なカルチャーのように感じる。私はHIPHOPというカルチャーの持つ、”両極端にある2面性”というものに興味を持った。生と死。富と貧。成功と失敗、尊敬と中傷、、それは当時顕著に表れた人種差別や経済格差という厳しい”社会”というフィールド内でのコンペティションから生まれた概念であり、一瞬でどちらかに転ぶという”緊張感”は人間本来の潜在的なエナジーを引き起こしたのではないだろうか。当時の社会で押し殺されたアイデンティティを解放する様々な社会への反発と同じように、そのエナジーはニューヨークのブロックパーティという解放の場でHIPHOPという一種のカルチャーへと形成されていった。そしてそのバイブスは次第に世界中の人々の心を動かし、それから約40年という時を経て、HIPHOPという言葉は1つの概念として人々をまとめあげたのだ。では、その短い歴史の中でHIPHOPカルチャーはどのように変化していったのであろうか。

”物足りなさ”

壮大なテーマを前に、ふと一息つこうとカフェに向かった私は、濃縮されたエスプレッソで目を覚まそうしたが、持ち合わせの小銭が足りず、やむ無くお手軽価格のアメリカン・コーヒーを。日ごろの注意度の無さを反省しつつ、薄口のアメリカン・コーヒーで落ち着かせようとするが、やはりなにかが物足りない。そういえば、物足りなさというものは、先日久々に行った最新チャートが流れる大きなクラブでも味わったなー。など考えつつ、眠い目をこすって作業に戻ろうとした丁度その時、私の頭にある言葉が浮かび上がってきた。”HIPHOP濃度HIPHOPの広がり方はコーヒーと同じではないだろうか。

”珈琲”

ここでコーヒーの歴史をおおまかに。コーヒー発祥における2つの起源説や10~15世紀におけるコーヒー禁止令など有名な話はさておき、15世紀初頭のベネチアを皮切りに、ヨーロッパ全土へと浸透したコーヒー。その黒いスープはヨーロッパの人々を虜にし、イギリスではコーヒーハウスが数多く作られ、紳士の社交場として人気を博した。男たちはそこで政治を語り文学を論じ、ビジネスを展開していった。一方フランスでは、コーヒーはフランス上流階級をも魅了してしまい、やがてサロンが数多く作られ、新しい文学や哲学や芸術が生まれていったそうだ。そしてその波は一般市民にも及んで、街角には溢れんばかりのカフェが生まれていく。コーヒーというものが大衆に馴染みだした頃、フランスではドリップ式、イタリアではエスプレッソが考案され、それ以来コーヒーを飲むスタイルというものは徐々に変化を遂げていくこととなる。この大きな流れはそのまま中南米へと広がっていき、コーヒーの栽培と共に世界各地にコーヒーは浸透していく。

”大衆化”

HIPHOPルーツに精通している方なら、上記のコーヒーの広まり方とHIPHOPミュージックの広まり方になにかしらの類似点を見出したにちがいない。本来のエスプレッソやドリップ・コーヒーから、お手軽価格で薄口のアメリカン・コーヒー、またもやカフェ・オレ、カプチーノ、ラテ・アートなどなど、、、コーヒーの文化は長い年月をかけて様々な形に進化してきた。禁酒法時代には、酒の代わりとして人々の心を癒し、その前には薬としても使用されるなど、黒いスープは多くの人々に愛され続けてきた。やがて街のあちこちにカフェができ、コーヒーは大衆に馴染みだし、ビジネスとして成り立つほどにまで成長。今では世界中のあちこちで誰しもがコーヒーというものを味わえるものになってきている。

しかし、現在の行き過ぎた大衆化は人々に本来の黒いスープの香りと苦みを忘れさし、利益が先行した薄口で調合されたものを一般的にしてしまっている気がする。ある時を境に大衆化というものは、じわりと顔色を変え、根本にある本来の味を隠し、簡単で薄い性質に変化させ、一般的概念として成り立たせてしまったのではないだろうか。時間をかけ、コーヒー豆を焙煎し、湯気の立ったお湯でドリップされて出来た一杯のコーヒーもコーヒーと言われ、自動販売機から出てくる缶コーヒーもまたコーヒーである。

これは、現在の社会のあらゆるものに言い換える事ができ、賛否両論は各々が決める時代であるからこそ、無論強く主張もするつもりはないが、物心がついたばかりの子供にコーヒーの味を問われた時、私は自販機へは向かわず、焙煎機を手にとりたい。

”現在社会”

話はそれてしまったようでそれていないが、要するに、本物というものを知っているかどうかという事である。ルーツを知るという事の意味合いは非常に深い。上記で述べたようにHIPHOPというものは、人間本来の潜在的エナジーから生み出された1つの概念であり、その概念が生まれたルーツを敬い、進化させていき、継承していくという3つの宿命がHIPHOPカルチャーには存在していると私は思う。もちろん進化を前提にしている為、そのやり方にはこれといった正解はない。そのため、進化という言葉は様々な捉え方が出来るだろう。

ご存知の通り、現在のHIPHOPミュージックと言われているトラップ・ミュージックは賛否両論を起こしているが、これもまたHIPHOPの進化の形と言えるはずだ。しかし、進化以外の2つの重要な要素は、どこかないがしろにされているようにも感じる。当時HIPHOPが世界中のヘッズの心を動かした、あの言葉にできない衝撃や、リリックの重み、響くメッセージ性など、それらは、その時代の先駆者が放った人間本来のエナジーから滲み出た産物であると私は考える。

現在の社会は、世界的に治安もよくなり、テクノロジーも発展し、昔と比べると、はるかに平和に近づいている。つい先日 友人が射殺されたという事もなければ、外でたむろしているだけで警察に捕まる事もめったにない。人々が社会に対して反発する動機は未だ何かしらで多いのかもしれないが、数十年前と比べれば、そのエナジーは弱まってきている。その為、本来の厳しい社会を生き抜くコンペティションではなく、名声や数字や認知度を基準とされた大衆のコンペティションへとフィールドが移ったように私は感じている。顔色を変えた大衆化社会での進化形が現在のHIPHOPミュージックと考えると、これはまた面白い。

そうなれば、目の付け所は、現在賛否両論されている音楽表現方法ではなく、そのフィールドを作り上げている現在の社会に目をつけばければいけない。平和という幻想に形どられた現在の社会に対して本気で挑もうとしているアーティストは果たして存在するのだろうか。

”漆黒のエスプレッソ”

敢えて2010年以降から活動しだしたアーティストに絞り、色々とリサーチしてみる事に。が、なかなかピンとくるアーティストは出てこない。確かにそれっぽいものはいくらかある。現在のトラップの流れに反対するもの。SNS自体に反対するもの。無所属でビック・レーベルに反発するもの。しかし、私が味わいたいのは漆黒のエスプレッソ。奥深くに存在する核に向かって正面から挑んでいるアーティストというものは中々見つからない。徐々に自分で課した作業に嫌気がさし、氷が溶けてほぼ水と化した先程のアメリカン・コーヒーを飲み切ろうとした時、彼らは現れた。

喉に通る無味無臭のコーヒーとは裏腹に、目の前で流れるのは彼らの重厚なミュージック・ビデオ。漠然と見終わると、それは一口にミュージック・ビデオとは言い難い、久々の緊張感を与えてくれるもの、言い換えるなら、それは予告状に近いものであった。アメリカン・コーヒーではなにか物足りないと思っていた私に、久々に漆黒のエスプレッソを味わわせてくれた、彼らの名前はThe Black Opera(ザ・ブラック・オペラ) 。最近のトラップ・カルチャーを批判したレジェンドSnoopDogg、Souls of Mischief のMC Tajai Masseyなど、HIPHOPの歴史を築きあげてきた面々が口をそろえてこう言っている。”TBO(The Black Opera)みたいな奴らが現れるのを待っていたと。。”

https://myhood.jp/backbone/america/the-black-opera-2に続く、、



Writer / g.g

we are one. peace.